今年も、3月11日が近づいてきました。6年前の3月11日に大きな地震があったことを覚えているでしょうか。1年生の友達にとっては、記憶にないことかも知れませんね。
あのとき、先生は、5年1組の担任でした。ちょうど英語の授業だったので、野口先生にお願いして、職員室でテストの採点をしていました。
2時35分頃。6時間目の授業準備で3階へ。1組は授業中だったので、5年2組に入り、授業の準備を進めていました。5年2組の友達は、図工室の掃除中だったようで空っぽでした。2時40分頃になって、2組の友達も作業が終わった友達から戻ってきました。先生と5年2組の友達で「にらめっこ」をしたり、窓の外で幅跳びの授業をしている副校長先生と3年生の様子を見ていたりしていると・・・
グラグラッとものすごい揺れ。教室のドアが自動ドアのように開いたり、閉じたりしています。5年1組の教室からは「キャー」という声。PC室では、4年生の友達が添田先生から「下に入れ!」と指示を受けていました。
揺れはおさまりません。何度も大きな揺れがやってきました。校庭にいた3年生の友達は、学校の窓ガラスが波のようにウネウネ歪んでいる様子を見たそうです。体育館では6年生の友達が、卒業証書フォルダーを使って卒業式の練習中。天井がグニャグニャ動いた様子を6年担任の小川先生は見ていました。
2組にいた先生は、1組の教室に行こうとしましたが、ずっと揺れているので、なかなか行けません。3分ぐらい揺れていたでしょうか?やっと隣の1組に入ろうとするのですが、また揺れています。
「放送を待ってちゃダメだ。大松先生。逃げよう!」添田先生の判断で避難を始めました。図書室前の非常階段から避難開始。30秒ぐらい遅れて、1階から副校長先生が「避難!停電で放送機械が使えないから、みんなで声を出して」という叫び声。
校庭に出て、訓練の時のように人数確認。まだ地面は何度も揺れています。宮っ子や放課後学童の1年生も校庭に集合。みんな「着の身着のまま」です。体育の授業中だった3年生の友達には、半袖半ズボンの子もいました。保健室から、毛布を数枚持ってきて、みんな肩を寄せ合って使います。揺れ続けるので、泣き出す友達もたくさんいました。上級生は下級生に「大丈夫。きっとお母さんやお父さんが迎えに来るよ」「手遊び歌をやろうか」と声をかけ、落ち着かせてくれていました。先生方は、校庭で臨時会議。子ども達を落ち着かせる担当。集まってきた保護者や地域の方に対応する担当。外トイレに連れて行く担当。教育委員会と連絡する担当。先生方も必死でした。
校庭で1時間ぐらい待機していたでしょうか。「保護者が来たら引き渡しOK」という指示があり、少しずつ友達が下校を開始した頃、ポケットに入っていた携帯電話に気がつきました。6年生担任の阿部先生と見たときの映像に驚きました。「えっ。この白い波って、津波?」
その頃から、校庭に集まってくる保護者の方が一気に増えたので、テレビのことは忘れて、引き渡し作業を行いました。大学入試の関係で両親が戻ってこれなくなり、保育園に泊まることになった友達もいましたね。最後の一人を学校から帰したのは、何時だったでしょう。
5時ぐらいだったかな。「男の先生は、校舎内の確認。女の先生でまだ学校にいられる先生は、保護者に引き渡せていない子と待機。家庭がある先生は帰宅」ということになり、先生は教室に。

5年1組の教卓。自主学習の山が崩れています。

みんなの机も、5時間目のまま。ランドセルも置いたまま。

そういえば、机の下に隠れていたN君が「先生!水槽から水があふれてくるよ!おしりが濡れる」と叫んでいました。メダカが入っていた水槽の水が、ほとんどありません。水槽が揺れて、メダカと一緒に床にあふれ出していました。前日にワックスを
かけた床が、真っ白に。

体育館の天井にある電灯が!あの真下で卒業式の練習中だった6年生は、怖かったでしょうね。

校庭にも亀裂が。

先生にとって、あのときの様子は、一生忘れられません。今、陽光小にいるみんなにとっては、「こんなことがあったの?」ということが、この後もたくさん起こりました。計画停電。ガソリンを求める行列。食品の買い占め。
世の中が暗い雰囲気になったこともあり、4月から6年生の友達と「まずは陽光小から笑顔になろう」とたくさん縦割りイベントを企画したことを思い出しました。
3月11日を機会に、どんなことが宇都宮で起きたのかお家の方に聞いてみるといいですね。あの日の出来事を「昔話」にしてはいけないと思います。