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2023年8月の記事一覧
6月22日(木) 機動班による転倒防止対策(ロッカーの固定)の様子
6月22日(木) 機動班による転倒防止対策(ロッカーの固定)の様子
児童の安全・安心を確保するため,ロッカーの固定をしました。
教室,オープンスペース,特別教室,準備室等の環境整備(安全対策)をしています。
6月21日(水)研究授業の様子 5年
6月21日(水)研究授業の様子 5年
校内研修の様子 新聞記事を読み比べてみよう
文章全体の構成を捉え,情報と情報との関連付けの仕方を理解し,文章と図表などを結び付けるなどして要旨を把握する力を育成します。
新聞の見出しの特徴
短い 強い印象を与える 言葉の順序を入れ替える ・・・
書き手によって,相手や目的に応じて事実は加工されます。
それによって伝わりやすくなる反面,一つの事実に対して,いろいろな書き方があることに気付きます。
ペアやグループになり,話し合います。
新聞特有の構成により,読者の気持ちを記事に引き付け,限られた紙面で,社会の動きや出来事を伝える工夫が示されています。
新聞記事の構成と写真の役割について理解します。
記事と写真に合った見出しを考える活動を通して,記事の要旨を把握する力を高め,自分が書き手となった時に図表を効果的に使ったり,記事を工夫したりする力を育成します。
6月21日(水)2年生活科 まちたんけんの様子 №4
6月21日(水)2年生活科 まちたんけんの様子 №4
白髭神社(しらひげじんじゃ)より遠望…白髭神社は,宇都宮市白沢町にある神社です。白沢の名前の起源ともいわれています。
白沢地蔵堂 交通安全に気を付けて,道路を渡ります。
鎌倉時代,奥州総奉行に任じられた伊沢家景(いざわいえかげ)の子どもが,1191(建久2)年,稚児坂で転んで怪我(けが)をして亡くなりました。
子供の亡(な)き骸(がら)を上岡本村(現在の白沢南)の外れに葬(ほうむ)り,供養塔(くようとう)を建てました。
村人達は,そこに地蔵堂を建て,800余年も過ぎた今でも,毎月24日念仏供養が行われています。
境内には明治時代の廃仏希釈(はいぶつきしゃく)の痕跡を残す首なし地蔵があり、悲しい歴史を伝えています。
稚児ヶ坂(ちごがさか)の墓
学年主任から,白沢の地蔵堂の話を聞きました。児童は,メモを取りながら,郷土白沢の話を真剣に聞いていました。
河内運動総合公園は、スポーツの普及及び振興と市民の体力の向上などのため、スポーツを楽しめる場所として平成13年に開設されました。広い敷地内には屋内プールをはじめ、陸上競技場や多目的運動広場(野球場、ソフトボール場、サッカー場)、芝生広場、アスレチックなど、多様な施設があります。
ドリームプールかわち
競技用のプールやウォータースライダーなど、計5つのプールがあります。また温水プールのため、年間を通してご利用可能です。白沢小学校では,校内水泳記録会を7月に実施します。
陸上競技場には、1周400m×6コースの全天候型トラックと342席のスタンドを備えています。
トラックの内側にあるフィールドは天然芝でできており、サッカーなどのグラウンドとして使用可能です。プロ利用(サッカー)があります。
多目的運動広場は、面積23,000㎡あるグラウンドです。サッカー場には良質な天然芝を敷き詰めており、地元のサッカーチーム・栃木SCも練習場として利用しています。
宇都宮市河内総合運動公園
地元のサッカーチーム・栃木SC
郷土,白沢のすばらしさを再確認した一日でした。この後,各学級で振り返りをしました。
6月21日(水)2年生活科 まちたんけんの様子 №3
6月21日(水)2年生活科 まちたんけんの様子 №3
白沢南彫刻屋台 黒漆塗〔くろうるしぬり〕彩色〔さいしき〕彫刻屋台であるこの屋台は,大型の鹿沼屋台の特徴を持っています。文化13年(1816年)から文政3年(1820年)にかけて,鹿沼市麻苧〔あさう〕 町(旧新町)で白木屋台として制作され,その後,塗屋台となったものです。 宇都宮市歴史文化資源活用 推進協議会,事務局 : 宇都宮市教育委員会事務局文化課内より
彩色彫刻は,その塗りの状況などから何代かに分けて制作されたものと思われます。鬼板(屋根両頂上端の彫物)には獅子,懸魚〔げぎょ〕(鬼板の下の屋根彫物)には大きな牡丹〔ぼたん〕など,多くの彫刻が施されていますが,なかでも,脇障子に施された鉄線〔てっせん〕 花かの透かし彫りは,日光東照宮の諸彫刻と同レベルの完成度であると評価されています。屋台は,白沢の白髭〔しらひげ〕 神社の例大祭の際に,付祭として5年に一度巡行されています。 宇都宮市歴史文化資源活用 推進協議会,事務局 : 宇都宮市教育委員会事務局文化課内より
須賀神社 村内安全・無病息災・五穀豊穣を祈ります。
本殿内部の木札には,「享保三年発亥九月吉辰」「津島神社より分霊」とあり,享保三年(1803)に愛知県津島市にある疫病除けの守護神として有名な津島神社から分霊,御神体としたことが記されています。祭礼に使用する御輿の奥付けに「寛政十一年 六月吉日」とあり,寛政11年(1799)六月に宇都宮に住む大工新蔵,藤原吉長によって作られたことが記されています。 河内ふるさと探訪より
奥州街道白沢宿の「七福神めぐり」
奥州街道第一宿として開宿400年になる白沢宿。今も風情ある街並みが色濃く残され,用水掘には水車がのどかに回り,8月の「地蔵盆」の縁日には灯籠が飾られ,幻想的な雰囲気が漂います。
江戸時代に整備された五街道の一つである奥州街道(道中)の第一宿として設置された白沢宿
ここには,白沢内に7カ所ある七福神のうち大黒天が祀られています。
白沢駐在所の様子 私たちの毎日の生活の安全・安心のためにありがたい存在です。白沢駐在所の所長様には,白沢小学校地域協議会の委員もお願いしています。
白沢宿と本陣 関ヶ原の合戦後、江戸時代となり、大名の参勤交代の制度が行われるようになり、主な街道には宿場が設けられ、諸大名の宿舎や休憩のために本陣がおかれ、奥州街道筋の白沢宿では宇加地家がこれにあてられました。 河内ふるさと探訪より
参勤交代のため、白沢宿を通過する大名の数は年代により異なり、奥州の諸大名と下野国内では黒羽・烏山・大田原・喜連川などの大名でした。天保年間(1830〜44)には37の大名が、江戸へ国許へと全盛を極め、白沢宿はお供の侍や助郷(すけごう)の人たちなどでにぎわったそうです。 河内ふるさと探訪より
宇加地家は江戸時代を通じ諸大名の休憩や宿泊などの本陣、また町名主としてその任を勤めました。当家には多数の古文書・歴史史料の他、「寛政元年巳酉」(1789)銘の雛人形など、当時の様子を物語る貴重な資料が伝えられています。白沢宿本陣であった宇加地家の母屋は江戸時代の建築とされ、所々に昔の面影を残しています。 河内ふるさと探訪より
白髭神社 白沢宿中央に、鳥居があり白髭神社の入り口になっています。祭神は猿田彦命で、「ひげ」という漢字は3字用いられました。
「髭」口の上のひげ・うわひげ 「鬚」あごひげ 「髯」ほほのひげ 河内ふるさと探訪より
「白髭神社」と呼ぶ社は県内に4社あり、そのうち当社と同じく白髭と書くのは小山市桑絹町に1社あり、他の2社は白鬚となっています。猿田彦命は日本神話の神で、天孫降臨の際に先導役を勤めたと言われ、また、庚申信仰と結びついて、神道上の神となっています。 河内ふるさと探訪より
白沢内に7カ所ある七福神のうち大黒天が祀られています。
大黒天 豊作・子孫繁栄(しそんはんえい)の神
白髭神社より南方向を望む
6月21日(水)2年生活科 まちたんけんの様子 №2
6月21日(水)2年生活科 まちたんけんの様子 №2
彫刻屋台 白沢甲部(しらさわこうぶ)自治会 天保4(1833)年に製作された、外輪式彩色彫刻屋台です。
鬼板と懸魚(げぎょ)には唐獅子、正面の柱には龍の彫刻がまきつけられ柱隠しの様に彫れており、眼にはハメ込みのガラス玉が用いられています。全部で12枚になる外障子・内障子には、十二支の彫刻が施され、この屋台の特徴となっています。 宇都宮文化財マップより,小学校版「宇都宮学」
北野神社 河内郵便局南東に、川の流れに沿って100m歩くと、西向きの北野神社があります。
1社殿2社2神の神社で、「学問の神」菅原道真を主祀する北野神社と、「暴風の神」素盞鳴尊(すさなおのみこと)を合祀する須賀神社があり、あわせて北野神社と呼称されています。 (河内郷土史、河内ふるさと探訪、神社庁記より)
北野神社(恵比寿) 九郷半川沿いの北野神社境内に祀られています。 恵比寿(えびす)天 商売・漁業の神
北野神社の建立は、江戸初期といわれ、江戸時代にはいって施設の普及高揚が図られました。そこには必ず天神様がおまつりされたと言われます。当初は、「怨霊信仰」でしたが、時代とともに「農耕神」「路傍神」の性格を強めてきました。また、菅公が学問によって異例の出世を重ねたことから、「学問の神」として学業成就が変わることなく祈願されています。 (河内郷土史、河内ふるさと探訪、神社庁記より)
2年生の児童は,担任の先生方に引率され,白沢公園内を散策しました。
白沢公園内の花壇の様子
休憩場所で,水分補給をしました。
グラウンドワーク西鬼怒の皆様のご協力で,白沢公園の水田に,白沢小の5年生が田植えをしました。
白沢公園 生態系保存と自然環境復元を目的に造られた農村公園です。久郷半川沿いに木道の渡り橋があります。
NPO法人グラウンドワーク西鬼怒の説明の後,水車小屋の中を見学させていただきました。ありがとうございます。
白沢公園 白沢公園の水車が復元され、散策者を楽しませています。 河内地区まちづくり協議会より
水車は、公園のシンボルとして親しまれてきましたが、残念ながら老朽化のために動かなくなってしまいました。やはり老朽化した木道(整備は3年計画)と併せ、公園の整備事業の一環として復元されたもので、今は昼夜を問わず回っています。水車には米搗き、製粉の機能が備わっています。(NPO法人 グラウンドワーク西鬼怒) 地域情報紙かわち 第64号(平成30年10月発行)より
水の力で,水車が動くことに,児童はびっくりしていました。
児童たちは,水辺に行き,水の触感,すばらしさを身体で感じとっていました。
昔の生活道具に触れることもできました。