白沢写真館(R4~H29)

6月21日(水)2年生活科 まちたんけんの様子 №3

6月21日(水)2年生活科 まちたんけんの様子 №3

  

白沢南彫刻屋台  黒漆塗〔くろうるしぬり〕彩色〔さいしき〕彫刻屋台であるこの屋台は,大型の鹿沼屋台の特徴を持っています。文化13年(1816年)から文政3年(1820年)にかけて,鹿沼市麻苧〔あさう〕 町(旧新町)で白木屋台として制作され,その後,塗屋台となったものです。 宇都宮市歴史文化資源活用 推進協議会,事務局 : 宇都宮市教育委員会事務局文化課内より 

  

彩色彫刻は,その塗りの状況などから何代かに分けて制作されたものと思われます。鬼板(屋根両頂上端の彫物)には獅子,懸魚〔げぎょ〕(鬼板の下の屋根彫物)には大きな牡丹〔ぼたん〕など,多くの彫刻が施されていますが,なかでも,脇障子に施された鉄線〔てっせん〕 花かの透かし彫りは,日光東照宮の諸彫刻と同レベルの完成度であると評価されています。屋台は,白沢の白髭〔しらひげ〕 神社の例大祭の際に,付祭として5年に一度巡行されています。 宇都宮市歴史文化資源活用 推進協議会,事務局 : 宇都宮市教育委員会事務局文化課内より

  

須賀神社 村内安全・無病息災・五穀豊穣を祈ります。

本殿内部の木札には,「享保三年発亥九月吉辰」「津島神社より分霊」とあり,享保三年(1803)に愛知県津島市にある疫病除けの守護神として有名な津島神社から分霊,御神体としたことが記されています。祭礼に使用する御輿の奥付けに「寛政十一年 六月吉日」とあり,寛政11年(1799)六月に宇都宮に住む大工新蔵,藤原吉長によって作られたことが記されています。  河内ふるさと探訪より

  

奥州街道白沢宿の「七福神めぐり」

  

奥州街道第一宿として開宿400年になる白沢宿。今も風情ある街並みが色濃く残され,用水掘には水車がのどかに回り,8月の「地蔵盆」の縁日には灯籠が飾られ,幻想的な雰囲気が漂います。 

  

江戸時代に整備された五街道の一つである奥州街道(道中)の第一宿として設置された白沢宿

  

ここには,白沢内に7カ所ある七福神のうち大黒天が祀られています。

  

白沢駐在所の様子 私たちの毎日の生活の安全・安心のためにありがたい存在です。白沢駐在所の所長様には,白沢小学校地域協議会の委員もお願いしています。

  

白沢宿と本陣  関ヶ原の合戦後、江戸時代となり、大名の参勤交代の制度が行われるようになり、主な街道には宿場が設けられ、諸大名の宿舎や休憩のために本陣がおかれ、奥州街道筋の白沢宿では宇加地家がこれにあてられました。  河内ふるさと探訪より

  

 参勤交代のため、白沢宿を通過する大名の数は年代により異なり、奥州の諸大名と下野国内では黒羽・烏山・大田原・喜連川などの大名でした。天保年間(1830〜44)には37の大名が、江戸へ国許へと全盛を極め、白沢宿はお供の侍や助郷(すけごう)の人たちなどでにぎわったそうです。   河内ふるさと探訪より

  

宇加地家は江戸時代を通じ諸大名の休憩や宿泊などの本陣、また町名主としてその任を勤めました。当家には多数の古文書・歴史史料の他、「寛政元年巳酉」(1789)銘の雛人形など、当時の様子を物語る貴重な資料が伝えられています。白沢宿本陣であった宇加地家の母屋は江戸時代の建築とされ、所々に昔の面影を残しています。   河内ふるさと探訪より 

  

白髭神社 白沢宿中央に、鳥居があり白髭神社の入り口になっています。祭神は猿田彦命で、「ひげ」という漢字は3字用いられました。 

「髭」口の上のひげ・うわひげ 「鬚」あごひげ 「髯」ほほのひげ  河内ふるさと探訪より

  

「白髭神社」と呼ぶ社は県内に4社あり、そのうち当社と同じく白髭と書くのは小山市桑絹町に1社あり、他の2社は白鬚となっています。猿田彦命は日本神話の神で、天孫降臨の際に先導役を勤めたと言われ、また、庚申信仰と結びついて、神道上の神となっています。  河内ふるさと探訪より

  

白沢内に7カ所ある七福神のうち大黒天が祀られています。

  

大黒天  豊作・子孫繁栄(しそんはんえい)の神

  

白髭神社より南方向を望む