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安達藤九郎盛長(あだちとうくろうもりなが)
安達藤九郎盛長(あだちとうくろうもりなが)は,源頼朝(みなもとのよりとも)の家来(けらい)でした。
鎌倉幕府(かまくらばくふ)に深(ふか)くかかわった人物(じんぶつ)とされています。
鎌倉時代はじめのころのことです。
幕府(ばくふ)内で有力な力を持つ北条氏(ほうじょうし)が,対立していた三浦氏(みうらし)をほろぼしました。
有名な鎌倉の大仏(だいぶつ)は,三浦氏のうらみを鎮(しず)めるためにつくったともいわれています。
そして,安達藤九郎盛長(あだちとうくろうもりなが)がつくることを進めたものだともいわれています。
1194年,全国に守護(しゅご)・地頭(じとう)がおかれました。
そのとき,三河(みかわ)国の初代守護(しゅご)となりました。
頼朝が死んだ後,出家(しゅっけ…おぼうさんになること)して連西(れんさい)となりました。
お坊さんになったあとは成願寺で余生(よせい)をおくりました。
1200年に66歳でなくなりました。