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野澤邸
(のざわてい)

       所在地 西刑部


第二次世界大戦(いわゆる太平洋戦争)も終わりのころのことです。


日本本土は,
連合国軍航空機(こうくうき)による空襲(くうしゅう)を受けるようになりました。
(よる)は灯火管制(とうかかんせい)といって,家の電灯(でんとう)を消したり,
黒い布(ぬの)をかけて家の外に光がもれないようにしました。
昼間(ひるま)は,白いシャツをヨモギなどの汁(しる)でそめたりして
航空機から見えにくくするための工夫(くふう)をしていました。


野澤邸では,
白い壁(かべ)が目立たないように,墨(すみ)で黒く染(そ)めました。
このようなことは,栃木県庁(とちぎけんちょう)の建物(たてもの)でも行われました。