刑部城跡(おさかべじょうあと)    TOP

 

昭和32年6月3日,宇都宮市指定史跡(していしせき)となりました。


宇都宮頼綱(よりつな)の子,
頼業(よりなり)から数えて6代目の横田安芸守師綱(よこたあきのかみもろつな)の二男,
五郎兵衛尉良業(ごろうひょうえのじょうよしなり)が刑部(おさかべ)の地を治(おさ)め,
(しろ)を築(きず)き刑部(おさかべ)と名乗りました。
良業(よしなり)の子,刑部五郎左衛門業知(なりとも)が,
この城を継(つ)いで宇都宮氏の家来となり知行三千石となったとされています。


数代のちの経貞(つねさだ)は,
豊臣秀吉(とよとみひでよし)の朝鮮出兵(ちょうせんしゅっぺい)に加わりましたが,
1594年(文禄3年)に戦死(せんし)しました。
宇都宮氏の滅亡(めつぼう)によって城(しろ)はなくなりましたが,
刑部氏の子孫(しそん)は,その後もこの地で農業を営(いとな)みました。


城は東西42m・南北95mの規模(きぼ)であったとされていますが,
現在残っているものは,
土塁(土手:どて)と塀(へい)に囲まれた
南北に連なる二つの曲輪(くるわ:城の中の区切られた場所)だけです。
  
現在も,地名に「堀の内」,屋号に「御城」などの名前が残っています。