横川西小学校から

横西ごよみ

職員研修~心肺蘇生法講習会~

 先週の水曜日、校内研修の時間に南消防署の方々を講師に招き、心肺蘇生法講習会を行いました。

 私たち教員は毎年研修していますが、万が一の場合に備え、今年も真剣に研修に臨みました。

 学んだことを生かす場面がないに越したことはありませんが、子どもたちの大切な命を守ることができるように努めたいと思います。

6年生の読み聞かせ~1年生に向けて~

 朝の学習の時間に、6年生が1年生に絵本の読み聞かせを行いました。

 その絵本は6年生が図工の学習で作ったものです。

 1年生は6年生のお兄さん・お姉さんが優しく読み聞かせてくれて本当にうれしそうでした。

 6年生の1年生に向けたまなざしも優しく、見ていてうれしくなる光景でした。

 

創立記念日に向けて⑤

 明日は本校の創立記念日です。創立してから124年目になりました。

 今日の給食は創立記念日献立ということで、「牛乳、お赤飯(ごま塩つき)、鶏肉の漬け込み焼き、おひたし、お祝いすまし汁」でした。

 

 

 

 

 

 

 さて、創立記念日に向けた最終回として、本校の校歌についてお伝えします。

 現在も大切に歌い継がれている校歌は、創立60周年を記念して昭和36年(1961年)に制定・発表されました。

 それ以前にも校歌はありましたが、昭和16年(1941年)に作られたもので、太平洋戦争勃発当時の世相を反映し、戦時色を感じる歌詞となっていたため、作り変えられました。

 作詞は、栃木県が生んだ詩人・作家である泉 漾太郎(いずみ ようたろう)先生、作曲は、童謡の作曲家であり、校歌の作曲家でもある 平岡 均之(ひらおか きんし)先生です。

 当時、非常に有名だったお二人に作っていただいたすばらしい校歌ですが、ちなみに、2番の歌詞に出てくるポプラの木は、昭和35年度(1960年)の卒業生の記念樹で、「すくすくのびるように」という願いが込められ、校歌の中にもその気持ちを織り込んだそうです。

 これからも大切に歌い継いでいきたい自慢の校歌です。

 写真は、校長室にある校歌が書かれた額です。

 

 

 

 

【横川西小学校 校歌】 作詞 泉 漾太郎(いずみ ようたろう)、作曲 平岡 均之(ひらおか きんし)

  1.朝雲しずかに 流るる空に

   歌声あふれる 学びの園生(そのう)

   かがやく希望に 結びて集(つど)う

   精神(こころ)に草萌(も)え 花かおるなり

   たのしや横川(よこかわ) わがふるさとの

   西校文化を 育(はぐく)み綴る

 2.みどり葉あかるく そよげる 窓 ( まど ) に

   童心あふれる 学びの 園生 ( そのう )

   伸びゆく 知徳 ( ちとく ) を 求めて集う

   誠 ( まこと ) にポプラの 夢あらたなり

   うるわし 横川 ( よこかわ )  わがふるさとの

   西校歴史を  培 ( つちかい ) い誇る

 3. 夕陽 ( せきよう ) まど かに うつろう野辺に

   健康あふれる 学びの 園生 ( そのう )

   かかげる理想に  誓 ( ちか ) いて集う

   瞳 ( ひとみ ) に男体 峰ほがらなり

   なつかし 横川 ( よこかわ )  わがふるさとの

   西校平和を  営 ( いとな ) み飾る

 

創立記念日に向けて④

 今日は平成時代以降の本校の様子についてお伝えします。

【平成時代】

 平成時代になり、平成13年(2001年)11月17日に創立100周年記念式典が挙行され、航空写真を撮りました。

 写真は式典の様子と、航空写真です。

 

 

 

 

 

 

【令和時代】

 令和時代になり、令和3年(2021年)9月29日に創立120周年記念式典が挙行されました。

 式典終了後には、創立100周年記念に作ったタイムカプセルを開封したり、創立120周年のタイムカプセルに、20年後の自分に向けて書いた手紙を封入しました。

 また、創立120周年を記念して、横川西小学校のキャラクターである「けやきッズ」が誕生し、現在も本校のキャラクターとして親しまれています。

 

 

 

 

 

 

 

 明日は本校の校歌についてお伝えします。

 

創立記念日に向けて③

 今日は昭和時代の本校の様子についてお伝えします。

【昭和時代】

 昭和16年(1941年)4月1日に「栃木県河内郡横川村立国民学校」と校名を変更し、当時の児童数は6学級、273名でした。

 そして戦後まもない昭和22年(1947年)4月15日に「栃木県河内郡横川村立西小学校」と改称し、児童数は7学級、346名となりました。

 その頃にPTAの組織もでき、校舎の修理や校庭の地ならしなどの労力奉仕をしていたと記録が残っています。写真は昭和27年ごろの校舎の様子です。

 

 

 

 

 昭和29年(1954年)9月25日に、町村合併により 現在と同じ「栃木県宇都宮市立横川西小学校」と改称し、その当時の児童数は8学級、358名でした。

 昭和48年(1973年)には、現在も使用している鉄筋の新校舎ができ、5月12日には落成式典も行われました。写真は落成当時の校舎の様子です。

 

 

 

 

 昭和40年(1965年)頃から児童数が徐々に増え、昭和54年(1979年)には児童数が1000名を超えました。

 本校児童数の増加に伴い、昭和55年(1980年)4月1日には宇都宮市立陽光小学校が開校し、本校児童の257名が転校しました。

 その後、昭和62年(1987年)に現在も使用している新体育館が建てられました。写真は建てられた当時の体育館の様子です。

 

 

 

 

 

 明日は、平成時代以降についてお伝えします。