横川西小学校から

横西ごよみ

創立記念日に向けて③

 今日は昭和時代の本校の様子についてお伝えします。

【昭和時代】

 昭和16年(1941年)4月1日に「栃木県河内郡横川村立国民学校」と校名を変更し、当時の児童数は6学級、273名でした。

 そして戦後まもない昭和22年(1947年)4月15日に「栃木県河内郡横川村立西小学校」と改称し、児童数は7学級、346名となりました。

 その頃にPTAの組織もでき、校舎の修理や校庭の地ならしなどの労力奉仕をしていたと記録が残っています。写真は昭和27年ごろの校舎の様子です。

 

 

 

 

 昭和29年(1954年)9月25日に、町村合併により 現在と同じ「栃木県宇都宮市立横川西小学校」と改称し、その当時の児童数は8学級、358名でした。

 昭和48年(1973年)には、現在も使用している鉄筋の新校舎ができ、5月12日には落成式典も行われました。写真は落成当時の校舎の様子です。

 

 

 

 

 昭和40年(1965年)頃から児童数が徐々に増え、昭和54年(1979年)には児童数が1000名を超えました。

 本校児童数の増加に伴い、昭和55年(1980年)4月1日には宇都宮市立陽光小学校が開校し、本校児童の257名が転校しました。

 その後、昭和62年(1987年)に現在も使用している新体育館が建てられました。写真は建てられた当時の体育館の様子です。

 

 

 

 

 

 明日は、平成時代以降についてお伝えします。

 

 

 

 

 

 

 

創立記念日に向けて②

 今日は大正時代の本校の様子についてお伝えします。

【大正時代】

 大正時代、本校の学校名は「横川村尋常小学校西校」と言いました。

 大正5年(1916年)当時の児童は1~6年生まで在籍しており、合計219名でした。

 その頃から運動会や遠足が実施されており、大正9年(1920年)には、前年度に発足した野球部が県大会で優勝したと記録が残っています。

 写真は大正時代の本校の校舎です。

 

 

 

 

 明日は昭和時代の本校の様子についてお伝えします。

創立記念日に向けて①

 本校の創立記念日は今週末の土曜日の6月21日です。今週は何回かに分けて、本校の歴史についてお伝えしたいと思います。

【開校当時:明治時代】

 本校は、明治34年(1901年)6月21日に、横川尋常高等小学校より分離独立して誕生しました。

 江曽島龍泉院を仮校舎とし、学校名は「横川尋常小学校西校」と言いました。写真は開校当時の龍泉院本堂です。

 

 

 

 

 

 

 当時の児童数は1~4年生しかおらず、合計126名でした。

 明日は大正時代の本校の様子についてお伝えします。

 

 

蒸し暑くなってきましたが、がんばっています!

 梅雨に入り、蒸し暑い毎日が続いていますが、子どもたちはがんばって学習しています。

 友達と楽しそうに活動している様子、一人で一生懸命に考えている様子、グループみんなで仲良く課題に取り組んでいる様子等が見られ、とてもうれしく思います。

 これからも暑さに負けず、みんなでがんばっていきます!

2年生の研究授業と放課後の授業研究会

 昨日の5校時、2年生のクラスで、かねてから準備してきた道徳科の研究授業が行われました。

 2年生の子どもたちは一生懸命に考え、友達と意見を交わし、真剣に学ぶことができました。

 放課後には、その授業についての研究会が行われ、今度は先生たちが一生懸命に考え、意見を交わし、これからもよい授業を実践できるよう研修しました。

 子どもたちも先生たちもがんばっています!