日誌

学校 東日本大震災から15年

※今回長文です。

自分のクラウドに、こんな画像が画像が残っていました。

15年前の今日起きた東日本大震災が、北海道稚内から鹿児島県薩摩半島まで、まさに日本全体が揺れた、規模のとても大きな地震であったことが改めて分かります。

宇都宮(栃木県南部)の震度は「6強」で、画像のちょうど中央の「6+」のあたりでしょうか。

ご記憶の方も多いと思いますが、この清原地区は、揺れが増幅される性質を持つ関東ローム層という地盤ということもあり、実際には震度7クラスの揺れがあり、市中心部の揺れ方とも違っていたといわれています。

この写真は、震災直後の本校の校長室と思われますが、机やロッカー、ソファなどが大きく動いてしまっています。当時、私は市街地で勤務していましたが、机上の書類が落ちることはありましたが、机などがここまで動くことはなかったと記憶しています。このことからも、揺れの質自体が違っていたのだろうと推測できます。聞いた話では、隣の清東小では、重い金庫も倒れたそうです。

本校でも、校舎のいたるところが損傷したために通常の授業ができなくなり、清原中学校の教室を間借りして授業が行われました。当時の清原中学校の校長先生が、当時の様子を振り返って書かれた記事によると、校舎の改修や建て直しが終わるまでの108日間、中学校で授業を行っていたそうです。

記事には他にも、最初は周辺の小中学校に分散して授業再開という話だったが、それでは可哀そうだと、全員を中学校で引き受けることになったことや、小中で異なる授業時間でのチャイムや学校生活の工夫、昼休みの校庭での遊びを小学生に譲り、文句ひとつ言わなかった中学生のこと、小学生が中学校を去るときに校舎のベランダに中学生が全員出て見送ったという感動的なエピソードも綴られています。

自宅が被災した児童も多かったと思います。互いに助け合い、励まし合いながら当時を乗り切ったことが想像できます。

この地区でさえそうだったのですから、地震だけでなく津波や原発事故の直接的な被害を受けた地域の思いは相当のものなのだろうな、と想像できます。

改めて、犠牲になられた方々に哀悼の意を表するとともに、防災について改めて考える日に今後もしていきたいと思います。