学校の様子

花丸 熱戦、1年百人一首大会

 1月26日(金)、本校の伝統行事である1年生百人一首大会が行われました。
その目的は
・日本文化を代表する「百人一首」に親しみ,昔の文字や日本人の心を学ぶ。
・級友と競い合って覚えながら,学級の親睦を深める。
・本校の伝統行事として,友達と協力し合い積極的に行事に参加する態度を養う。
 また,今,宇都宮市内の小中学校では総合的な学習の時間に「宇都宮学」を学んでいます。その一環として,宇都宮にゆかりの深い百人一首に親しむことは大変意義のあることだと思います。

開会式です。
  
  
太鼓の音で競技開始、先生方が読みます。
 
 
 


読みに集中、真剣勝負!
 

優勝するのはどのチームか? 

(一口メモ)宇都宮と百人一首
 百人一首は、藤原定家(ふじわらさだいえ)が、息子為家(ためいえ)の妻の父、宇都宮頼綱(うつのみやよりつな 平安末期~鎌倉前期 宇都宮氏5代当主)法名:蓮生(れんしょう)の懇望によって染筆した小倉色紙(小倉山荘色紙和歌)がはじまりです。後に、為家によって百人一首が成書となり、それが数多くの能書家による写本として現代に伝わってきたといわれています。
 頼綱の妻は北条時政の娘。たまたま時政の陰謀に加担したと三代将軍源実朝(さねとも)より嫌疑を受け、やむをえず出家して謝罪し、法名を蓮生入道と号し、京都小倉山の北側に中院山荘という住居を構えました。
 和歌が好きだった連生は、藤原定家と懇意になり、やがて、娘は定家の息子為家に嫁ぐほどでした。
 当時、神社・仏閣・貴族の邸宅などの襖や障子に色紙を貼ることが行われており、特に定家のような当代一の大歌人であり選者の書いた色紙ならば別邸の誉れとなると蓮生は思い、襖の色紙を定家に懇望しました。高齢の定家は中風を患いながらもこれを承諾し、古来からの歌各一首、天智天皇より家隆(いえたか)、雅経(まさつね)に及ぶ秀歌百首を選んで送りました。
 これが後に、さらに手を加えて百人一首として伝わるようになりました。つまり、和歌を愛した蓮生の懇望がなければ、百人一首は誕生しなかったのです。というわけで百人一首は宇都宮と非常に縁が深いのです。