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2つの水神社のなぞ②

写真を手がかりに「江曽島地区にどんな水問題があったのか」を考えました。スケート場から江曽島地区を見た写真と姿川から江曽島地区を見た写真。すると、あることに気がつく発表が!「先生。川よりも江曽島の場所が高いよ」「川より高い場所にあるから、水を運ぶのが大変だね」「洪水と言うより、水不足だね」。そうなのです。実は、田川と姿川に挟まれたこの場所は、川より10mほど高い場所(宝木台地)にあるのです。電気もない時代ですから、川の水を使うのには不便な場所。つまり水不足に困っていたのです。
そこで、「江曽島地区の人々は、どうやって水不足を解決したのか」をテーマに学習を進めました。手がかりは、年表。「1905年宝木用水をのばす工事が完成だって」「新川と言われているよ」「飯塚さんが1877年ごろに計画したんだ」と大切な事実に気がつきました。

まとめると「飯塚さんが、宝木用水をのばす計画を立て、人々が協力をして工事をした結果、1905年に新川として完成した」でした。
ところが、「なんで反対する村があるの?」「すんなり賛成しないのは?」「5つの村が反対したのは?」と何やら新しい「?」が生まれてきました。
次回は、「なぜ反対する村があったのか?」について考えていきましょう。