学校の様子

学校の様子

2/6(月)学校かわら版

*今日の給食は【初午(はつうま)献立】でした。
《今日の献立》
赤飯 焼き魚(赤魚の粕漬け) しもつかれ みかんゼリー かんぴょうの卵とじ汁

   

 初午(はつうま)とは,2月の第一午の日に行われる稲荷神社のお祭りで,2023年の初午は昨日の2月5日(日)でした。稲荷大神は元々商売繁盛,五穀豊穣の神様で,初午の日は農作業が始まる日,その年の豊作を祈願する日とされています。また,今日の献立にある「しもつかれ」はご存じの通り,栃木県を中心に北関東に伝わる郷土料理で、鬼おろしですった大根と人参に、鮭の頭や油揚げ、野菜、大豆、酒粕などを入れて煮込んだ料理です。初午の日に,藁を束ねてつくった「わらづと」にしもつかれを入れ,赤飯と一緒に稲荷神社に供える風習があります。
 今日の給食の「しもつかれ」は酒粕を少なくしたり,鮭の身を使ったり,子どもでも食べやすいように工夫されているとのことでした。食べられないという生徒もいましたが,概ねおいしそうに頬ばっていました。

 

*そして午後は清原地域学校園研修会がありました。本校と本地区の5小学校の教職員が各教科領域に分かれて,研究協議,情報交換等を行いました。

 

2/3(金)学校かわら版

*平和親善大使 2年飯尾宥さん③
本日も,給食時の放送で飯尾さんが「平和に関する学習会」で学んだことを,全生徒に向けて発表してくれました。今日は最終日です。

 素晴らしい発表ありがとうございました。


*3年生は卒業式の練習が始まりました。

2/1 学校朝会がありました

  本日は学校朝会がありました。内容は表彰と生徒指導主事の大木先生からスマホ・SNS使用に関する注意事項,卒業・進級期を迎えて学校生活を見直していこうという話でした。

表彰は少年消防クラブ防火作品,河内地区理科展,学校教育書写書道作品展,人権作文コンテスト,卓球,バドミントン,バレーボール,バスケットボール関係などでした。

 

大木先生の話です。

卒業・進級に向けてスローガンは「有終の美 ~清く、正しく、美しく~」

 

平和親善大使 2年飯尾宥さん

今日から3日間、お昼の放送で飯尾さんが「平和に関する学習会」で学んだことを、全校生徒に向けて発表しています。

第1日目の今日は「どうして戦争は起こったのか」について、写真やイラストを使い、分かりやすく説明してくれました。

明日も楽しみにしていてください。

 

1/30(月)2年生スキー教室①

 2年生はいよいよスキー教室です。まだ薄暗い6;30集合です。

出発式です。

同行してくださる添乗員さんです。

到着しました。風もなく絶好のコンディションです!

開校式です。

いよいよ始まりました!!最後までくじけずがんばれ!!

1/27(金)1年生百人一首大会が行われました!

 本校の伝統行事である1年生百人一首大会が行われました。その目的は,
・日本文化を代表する「百人一首」に親しみ,昔の文字や日本人の心を学ぶ。
・級友と競い合って覚えながら,学級の親睦を深める。
・本校の伝統行事として,友達と協力し合い積極的に行事に参加する態度を養う。

 また,今,宇都宮市内の小中学校では総合的な学習の時間に「宇都宮学」を学んでいます。その一環として,宇都宮にゆかりの深い百人一首に親しむことは大変意義のあることだと思います。

藤原定家?宇都宮頼綱をイメージ?

(再掲)宇都宮と百人一首
 百人一首は、藤原定家(ふじわらさだいえ)が、息子為家(ためいえ)の妻の父、宇都宮頼綱(うつのみやよりつな 平安末期~鎌倉前期 宇都宮氏5代当主)法名:蓮生(れんしょう)の懇望によって染筆した小倉色紙(小倉山荘色紙和歌)がはじまりです。後に、為家によって百人一首が成書となり、それが数多くの能書家による写本として現代に伝わってきたといわれています。
 頼綱の妻は北条時政の娘。たまたま時政の陰謀に加担したと三代将軍源実朝(さねとも)より嫌疑を受け、やむをえず出家して謝罪し、法名を蓮生入道と号し、京都小倉山の北側に中院山荘という住居を構えました。
 和歌が好きだった連生は、藤原定家と懇意になり、やがて、娘は定家の息子為家に嫁ぐほどでした。
 当時、神社・仏閣・貴族の邸宅などの襖や障子に色紙を貼ることが行われており、特に定家のような当代一の大歌人であり選者の書いた色紙ならば別邸の誉れとなると蓮生は思い、襖の色紙を定家に懇望しました。高齢の定家は中風を患いながらもこれを承諾し、古来からの歌各一首、天智天皇より家隆(いえたか)、雅経(まさつね)に及ぶ秀歌百首を選んで送りました。
 これが後に、さらに手を加えて百人一首として伝わるようになりました。つまり、和歌を愛した蓮生の懇望がなければ、百人一首は誕生しなかったのです。というわけで百人一首は宇都宮と非常に縁が深いのです。