日誌

6月朝会「栃木県について」

〇6月14日(水)の朝会では、校長先生が「栃木県について」のお話をしました。

〇栃木県について、どれだけ知っているかを確かめていきましょう。

 まず、市や町の数、人口です。 市は14、町は11です。  人口は、約190万人です。

〇次は、栃木県のシンボルについて知りましょう。

〇初めは、県章です。これが栃木県の県章です。見たことある人も多いでしょう。これは、栃木県の「栃」という字がデザインされたものです。見比べてみると、確かに似ていますね。続いて、栃木県の木「県木」は、「トチノキ」です。 栃木県の鳥「県鳥」は、「オオルリ」です。栃木県の獣「県重」は、「カモシカ」です。栃木県の花「県花」は、「ヤシオツツジ」です。

  

〇そして、明日の6月15日は「県民の日」です。 

 県民の日というのは、現在の栃木県ができた日です。それまでは、宇都宮県と栃木県と二つに分かれていましたが、合わさって「栃木県」になったのです。いつできたかというと、1873年6月15日です。現在は、2023年ですから、計算すると150年になります。人に例えると、150歳です。

〇6月15日は、栃木県の誕生日ですから、栃木県に住んでいる私たちは、栃木県についてよく学び、栃木県のことをもっと理解していきましょう。ここに、栃木県で有名なものを写します。

食べ物として、いちご・ぎょうざ。歴史や文化として、足利学校・大谷平和観音。 自然として、男体山と中禅寺湖。そのほか、人物・スポーツ・施設などでも有名なものがあります。

〇今日は、栃木県にゆかりがあり、有名な人物を二人紹介します。 

〇一人目は、「仁井田 一郎」さんです。「いちご王国栃木」の基礎を築いた方です。

 1912年足利市に生まれで、1975年に亡くなられました。中学校卒業後、農家の仕事につきました。

 〇仁井田一郎さんには、願いがありました。それは、「農家のくらしをよくしたい。」という願いでした。

 そのために、いろいろと勉強したり研究したりしました。その結果、

・高い値段で売れるいちごをつくろうという思いにいたりました。

・そのために、いちご栽培の研究を始めました。そして、研究してわかったことを自分だけのものにするのではなく、他の農家の人・みんなに教えました。その結果、栃木県内に、いちご栽培が広がっていきました。

・栃木県は50年以上、いちごの収穫量が日本一なのです。

・仁井田一郎さんの努力の結果、栃木県は「いちご王国」となったのですね。 

〇二人目は、「荒井 退造」さんです。

・荒井さんは、上籠谷町の生まれです。1900年に生まれ、1946年に亡くなられました。

・清原南小学校の卒業生です。皆さんの大先輩にあたる方です。

・警察の仕事に就き、最後は沖縄県の警察部長を務めました。1943年7月です。その時は、世界で「第二次世界大戦」という戦争が起きていました。私たちの日本も、この戦争に参加していました。そして、沖縄県は、この戦争にいつ巻き込まれてもおかしくない状況にありました。 

〇荒井さんにも、願いがありました。それは、この戦争から「沖縄の人々の命を救いたい。」という願いでした。

・そのために、沖縄県知事の島田叡(あきら)さんと、「疎開」を進めました。

・荒井さんは、周りの人に「命どぅ宝」という沖縄に伝わる言葉を話していました。これは、命こそ宝、生きることが何よりも大切であるという意味です。つまり、荒井さんは、何よりも生きることが大切だと考えていました。この強い信念の下、行動したのです。

・荒井さん、島田さんは残念ながら戦争中に亡くなりますが、二人の働きで、沖縄県の約20万人の命を救ったと言われています。 

〇戦争が終わり、沖縄県に「島守の塔」という慰霊碑が建てられました。その中に、二人の名前が刻まれた石碑もあります。沖縄の人々は、二人の働きを忘れてはいなかったのですね。

 〇また、荒井退造さんの生家にも、石碑が建てられています。この石碑には、「たじろがず  沖縄に殉じた  荒井退造」と刻まれています。しりごみしたり、ひるんだりせずに、沖縄の人々を守るために、自分の命を投げ捨てた 荒井退造さんという意味ですね。

 

〇さて、今日は、栃木県についてお話をしました。 皆さんもぜひ、栃木県のよさを調べてみましょう。