私たちの姿川



下記の文章を読まない方は、写真をクリックしてください。

 私たちの学校の名前にもなっている姿川。近くを流れている川の名前に由来していることは,言うまでもありません。しかし,身近であっても知らないこともおおいはずです。姿川をいろいろな角度から見てみましょう。

1 「はるかなり 姿川(すがた)の流れ…」

   本校の校歌にあるように,源流は宇都宮市森林公園の
北から石の町大谷を通り赤川や武子(たけし)川,鶴田川が
合流し南下,西川田町付近で旧河川が,栃木県こども総合
科学館風の広場を通るが,すくに合流する。姿川第一小
学校を臨みながら,壬生町へ。宝木用水で有名な新川と
も合流して,石橋町・下野市を経て小山市の三拝河岸で
思川に合流する。
   流路延長40.2km,流域面積203.1km

2 姿川と歴史
   「姿川」という名前はおそらく「自分の姿が映るほど,きれいな水でおだやかな流れの川」ということからきているので  あろうが,命名者や命名年は不明である。
   川の近くは昔から人間の生活の場所となり,根古屋のたて穴式住居跡や稲荷山(いなりやま)古墳群(こふんぐん),琵   琶塚(びわづか)古墳,下野国分寺・国分尼寺(にじ)跡,児山(こやま)城跡など史跡がたくさんある。
   姿川の近隣には,川の名前からとった「姿村」や「姿川村」があった。
   姿村は今の石橋町西部に位置する。「姿橋」という橋の名前にその面影が残る。明治以前には,大部分が壬生領で   ,上古山と下古山の一部が旗本(はたもと)の土地であった。1892(明治25)年に姿川の西側の下長田・上台・橋本・細  谷と東側の上古山・下古山の6集落で姿村になる。しかし,1954(昭和29)年には,石橋町に合併した。
   姿川村は今の宇都宮市の南西部に位置する。姿川地区という名に面影が残る。江戸時代には,大部分宇都宮藩領 で,旗本・代官の土地が点在していた。1869(明治2)年は日光県,1871(明治4)年は宇都宮県に属し,1889(明治22)年に  西川田・兵庫塚(ひょうごづか)・幕田・鷺(さぎ)の谷・下欠(しもかけ)下・下欠上・下砥上(とがみ)・上砥上・鶴田の9村を大 字(おおあざ)として,河内郡姿川村になった。1955(昭和30)年に宇都宮市に編入される。

3 姿川の利用
 川の流れにより,谷や扇状地(せんじょうち)が形成される。川の両岸は肥沃(ひよく)な土壌(どじょう)であり,田畑や果樹園が多い。灌漑(かんがい)設備があらゆる所にある。石橋町付近では,栃木県名産のかんぴょう作りが盛んである。また,源流や明保地区には養魚場もある。下流では,今でも漁業をする姿も見られる。
 江戸時代には,灌漑利用のない時期に幕田河岸が利用され,水運にも利用された。

〔参考資料〕
  栃木県大百科事典刊行会編 『栃木県大百科事典』 下野新聞社(1980)
  国土地理院発行 1:25000 地形図
    大谷(H14.5.1発行)  T4測量 S53第二回改測 H13修正測量
    宇都宮西部(S63.7.30発行)  T4測量 S53第二回改測 S62修正測量
    壬生(H14.5.1発行)  T4測量 S53第二回改測 S62修正測量
    小金井(H14.11.1発行)  T4測量 S53第二回改測 H8修正測量 H13部分修正測量

姿川マップへ

Copyright Utsunomiya City Educational Center All right reserved.